早いもので石徹白に来て一ヶ月が経った

早いもので石徹白に来て一ヶ月が経った。
あと一ヶ月くらいは滞在する予定なんだけど、僕の車は雪が降ると身動きできなくなってしまうので、雪が積もり出すギリギリくらいの時期に脱出することになると思う。
脱出に失敗したら雪が消える春まで滞在することになるが、雪に包まれた美しい石徹白も見てみたいので、脱出に失敗したらそれはそれで楽しみでもある。とか呑気に構えている。

石徹白は、岐阜と福井の県境にある小さな集落で、岐阜県郡上市に属する。かつては日本最大規模の山岳信仰である白山信仰の中心地として栄えた場所だ。
白山信仰は主に北陸、岐阜、愛知を中心に広がっていて、このエリアでは郡上踊りや花祭に代表される様々な民俗芸能がいまなお盛ん行われている。
石徹白にいくにはクネクネした山道を登らなきゃいけなくて、非常に行き辛い。そのため昔のままの習俗が変わらず残っていて、柳田國男をはじめとする民俗学者たちがよく訪れた場所でもある。
ある人はこの地を神の住む場所だといい、ある人は絵本の世界だという。
でも実際に住んでみたら、普通ののどかな田舎町だ。

僕はここに滞在して、ときどき地元のお年寄りに唄や踊りについての話を聞きに行ったりしている。 表からはあまり見えないが、実は唄好き踊り好きが大勢いる。
話によると、高度成長期以前と以降でガラッと世界が変わっていて、やはり相当インパクトが大きかったんだと思う。これは全国的に共通していることだ。
石徹白の人口は高度成長期にエグい減り方をしていて、昭和33年に1166人だったのが昭和54年には546人になっている。20年くらいで人口が半分以下になっている。
このときに減ったのは若い世代だ。それまで回っていたサイクルが回らなくなり、活気がなくなっていった。
この時期に一年で一番の楽しみだった盆踊りの質ががくんと落ちる。

昔の盆踊りっていうのは、今の盆踊りとはかなり形が違う。
昔は全員が唄い手で全員が踊り手だった。 踊りながらみんな思い思いに唄を出し、アドリブで上手いことを言い、ボケて、突っ込んで、唄でバトルをしあい、恋の駆け引きをしあい、囃し立て、笑い転げてという高度でエンターテインメント性の非常に高いものだった。
だからこそ、一年の間それを楽しみに待ったのだ。歌詞を部屋に貼って暗記して唄の練習をして、来年の盆踊りはこんな唄を出してやろうとか、格好よく唄ってあの娘をゲットしようとか妄想して一年過ごすのだ。だから、集落には優れた唄い手がたくさんいて、他の集落の唄自慢もやってきて、お盆の時期は連日盛り上がった。
それが人口が減っていくことで、だんだんと唄い手が少なくなり、しだいに決まった人しか唄を出さなくなると面白さは半減する。中心部分にあるエンターテインメント性が失われてしまうのだ。
やがて誰も唄わなくなると、ついには録音音源で踊るようになる。そうなると、さらに面白さは半減する。つまらなくなると参加する人もだんだんと減っていく。
それで、盆踊りはワクワクしながら一年待つようなものじゃなくなった。

石徹白でも一時は録音音源で踊るまでに劣化したが、その後、生唄での盆踊りは復活する。しかし、かつての活気のあった盆踊りの状態にまで持っていくのはかなり難しいだろう。 もう時代は変わってしまっているのだ。
娯楽であれば一年に一回の盆踊りを待たずともテレビのスイッチを入れてお笑い番組でも見ればよくて、隣の村で踊るために往復4時間の道のりを歩く熱量なんてもはや存在しない。
意中の異性がいたらLINEなんかでサクッと連絡し合うだろう。喉を鍛えて、盆踊りのときに唄で想いを伝えるなんていう効率の悪いことは誰もしない。
いい服を買って、いい美容室行って、何か気の利いたものをプレゼントでもすれば、誰でも簡単にお金でモテを買える。
「お金を稼ぐ」っていうことが兎にも角にも生活の中心になってしまった。

高度成長期が「貧しくはあるが、豊かな世界」を破壊して作ったのは、「豊かであるが、貧しい世界」だ。
どちらがいいか意見が分かれるところだろうが、石徹白のあるお年寄りは今の世界を「張りがない」と表現した。僕も全くの同意見だ。日本はもっと面白く質の高い、独特な世界になるはずだったのだ。
唄と踊りの達人が近所にゴロゴロいて、街角でとんでもなく美しい唄声で唄バトルを繰り広げる世界もありえたのだ。
実に勿体無い話だ。

そして今、日本は経済の落ち込みにより「貧しく、貧しい世界」へと、つまりただの「貧しい世界」へと変わりつつある。
そんな中で、石徹白をはじめとする「貧しくはあるが、豊かな世界」が比較的破壊しつくされずに残っている地域は非常に貴重な存在となる。とくに実際に「貧しくはあるが、豊かな世界」の住人であったお年寄りの話は数多くの重要なヒントを含んでいる。
そういったものを求めてか、石徹白はここ数年若い世代の移住者が増加中だ。
雪深く交通の便が悪い土地にも関わらず、子供の数も段々と増えてきている。
ここで育った子供はどんな大人になるだろうか。
東京で生まれ育った子供とは、まるで別の生き物になるような気がする。